ベイジアン研究所

技術(人工知能、数学等)と心理の話をしています。

生きやすさについて

お題「#この1年の変化」

この1年の変化は世間的にも、自分自身にとっても凄まじい変化の年だった。某ウイルスに対する変化に関してはもううんざりとするほど多くの人が感じています。なので、ここでは私自身の「生きやすさ」という価値観の変化に関して述べたいと思う。

早速だが一昨年1年間私は心の体調を崩し、ずっと臨床心理士の元、カウンセリングを受け続けていた(コロナが流行る前の年です)。まあ遅かれ早かれ、いずれはこうなっていたんだと思う。私は昔から、人を大事にして人に合わせて人に好かれることで生きやすくなるんだと思っていた。

苦手な陽気な大学生のノリに無理やり合わせたり、キャラがあまりなかったために、無理やり自分にキャラ付けをしてそれを自分に強いていた。そうしなければ、この先社会で生きていくのは無理なんだと思っていた。

カウンセリングの甲斐もあって、なんとか就職することはできた。カウンセリングや、就職活動、自分で心理学を勉強するうちに、人に合わせる必要なんてないんじゃないかと思うようになってきた。自分が思ったままに行動してもいいんじゃないかと。

就職をし、地元を離れ、このご時世もあって、昔に関わっていた人とは、もはや会うことは無くなった。このタイミングで電話帳の登録を家族以外全て削除した。そして人間関係は過剰に作らないようにしている。

社会人生活はというと、以前思っていた、人に合わせるのが重要だというのは全くなく、お互いが過剰にコミュニケーションを取るのではなく、良い距離感の職場だった(そのような雰囲気に適合していると見抜かれて採用されたのだろう)。ともかく、とても居心地の良いものだった。

この1年で「生きやすさ」の価値観は、人に合わせる、というものから、自分に素直になるというものに変化した。今は家族以外の人間関係を持たず、こんなふうに文章を書いたり、学生の時にはできなかったことを一人でやったり、一人考え事をする生活が大変幸せである(もちろん職場では仕事と割り切って、人間関係を築いているが…)。

「結婚が幸せ」という価値観があると思うが、私は全く思わない。誰かとずっと一緒にいるということを想像するだけで頭が割れるほど痛くなる(一緒にいて全く苦痛にならない人がもしも、いれば良いが…)。そんな調子だから、私は一生結婚しないだろう。

このご時世が明けて、多少は人と人の距離が近づくかもしれない。そうしたら今のあまり人と関わらなくても良い、という無くなるのかもしれない(飲み会にも行かなくてはならないかもしれない、昔の関わっていた人から連絡が来るかもしれない)。

しかし、そんな時でも自分に素直になり、関わりたければ、関わり、嫌だと思ったら、嫌だと言えるようになりたい。そのために今から心の準備をしている。

今、内気で悩んでいる人も、社会に出れば、その人に合った環境なんて無数に合って、明るいことなんてなんの取り柄にもならないことを伝えたい。むしろ社会に出てその心の内側にある、素晴らしいものが外に出ていくものです。内向的な人間が、優秀なことは心理学でも、たくさんの研究があります(それを聞いて自分も自信を持った)。

ゴチャゴチャと取り止めもないことを書いたけれど、私はこれからも自分の気持ちを大事にして、素直に生きてゆこうと思った。